「会社がつらい」
30歳を目前に控えた2018年の6月。私は勇気を振り絞り母へ電話をかけた。心が疲れ果てていた私の想いを、淡々と追い詰めることもなく話を聞いてくれる母に安心したのだと思う。私はいつの間にかボロボロと泣いていた。
30歳――。
責任ある仕事に携わったり、何か役職についたりして、社会人として脂がのってくる年齢だと思っていた。しかし30歳になろうとしていた私は、会社に属すのが苦しくなり、休職し、働いていないも同義の存在だった。
「ちょっと、あなたの家の近所に行く用事できたから、お茶でもしない?」
後日、母からLINEが届いた。本音を言えば会いたくなかった。なぜならその頃の私は転職を繰り返しており、母に心配をかけていることが明白だったからだ。心配をかけていると分かっている人に会うのは、正直しんどい。ただその気持ちを無下にすることもできないため、いっそのこと聞いてみることにしたのだ。
「30歳、ほぼ無職のわが子に、何を思っているのか」を――。
「自分で道を選んでほしい」を実践する娘、だと思うことにした
とある大型ショッピングモールの中の、とあるカフェ。向かい合う親子の間には、1皿のパンケーキが鎮座していた。精神的にまいってしまい食事が喉を通らなくなっていたわが子に、「せっかくだから」と母が注文してくれたパンケーキだ。
母の周りには、定職につき働いている子どもを持つ友人がたくさんいる。また私の妹は、ちょっとうらやましさを覚えるほどの大企業勤めだ。しっかりと自分の足で歩み続けている子ども世代を見ている母が、私に対して何も思わないはずはない。
「転職を繰り返した挙句、また宙ぶらりんな状態になって、心配かけてるよね?」
1つのパンケーキをなんとかつつきながら何気ない日常会話をしたところで、私は核心である質問を母に投げかけた。すると母はコーヒーを含みながらこう言った。
「正直、こう気軽にホイホイと仕事を辞めて転職してを繰り返されたら、この子大丈夫かなとは思う。私が偉い人だったら、転職回数が多いとちょっと疑ってかかるから。でも、いつも会社を辞めるっていう報告が事後報告だから、止めようにも止められないのよ。今回の病気の件だって事後報告だったから、しょうがないって受け止めるしかないし。どうせまた、会社辞めるんでしょ?」
母には、休職する旨だけを伝えていた。しかし母は、私の心を9割以上占めていた決意を、あっさりと見抜いていたのだ。
ただやはり不安は大きいようで、ちゃんとやっていけるのかと尋ねられた。幸い私には休職中の会社に勤める前に少しだけ野良ライター期間があったため、そこで仕事をもらっていたクライアントがいることが小さな安心材料になったようだ。なにより書くことは嫌いになっていないことを伝えると母は、少しホッとしたような顔を見せてくれた。
とはいえ、フラフラしているわが子に落胆しているだろうと、私は不安を感じていた。
「いつまでもダメな子どもでごめんね」
ぼそっとつぶやいた私に、母から意外な言葉が返ってきた。
「まあ、ひょいひょい辞めるのはどうなの?とは思うけど、書くことが嫌いになっていないならよかった。そもそもお父さんとお母さんは『子どもたちには自分で道を選んでほしい』と思っているから。だからこの子は、それをとことん実践しているんだと思うことにしたの」
母の思いがけないポジティブなリアクションに、私は拍子抜けするしかなかった。
得体の知れない娘の仕事に、不安がないわけではない
私は進路や就職といった人生の岐路を選ぶ際、親にあまり相談をするタイプではなかった。母はきっと、事後報告型の私の性格を把握していたからこそ、こういう受け止め方ができたのだろう。とはいえやはり、不安がないわけではなかった。
「あなたの仕事を、完璧に理解するのはこれから先も難しいかもしれない。お母さんはこれまでずっと企業勤めをしてきたから、フリーランスで働くっていうことがどんなことなのかも分からないし。説明があればいいんだろうけれども説明もしてくれないし、書いたもの見せてと言っても拒否するじゃん。何をしようとしているのか見えないから、応援したいけど怖い気持ちもある。この子は得体のしれない仕事で、自力で生きていけるのかなって」
ごもっともすぎる。母の言葉が、痛すぎるほど胸に突き刺さる。ただ自分の思考を文章にしたものを見せるのは、どうしても恥ずかしい。そんな私の性格までをも把握しているのか、母はこう言った。
「あなたが仕事のことをあまり話さない性格っていうのも分かっているつもりだから深くは聞かないけど、少なくとも働き方や仕事内容、これから先につながるのかという点で不安に思っていることは、分かっておいてほしいかな」
私の弱点を分かってくれる人がいることの心強さに、残り僅かなパンケーキがぼんやりと揺らぎながら目に映った。
元気でいてくれるのが一番
多様な働き方が認められ始めている昨今。リモートや在宅で働くことに抵抗のない私に母のごもっともな心配は、話さなければ届かなかったかもしれない。しかし得体のしれない仕事に挑戦しようとする私に不安を抱きつつも、なぜ母は見守ろうと決断してくれたのだろうか。
「まあ、電話口でボロボロ泣かれたら、そりゃあつらかったねとしか思えないよ。30歳とはいえ、私にとってはずっとかわいい子どもなわけだし。元気でいられないなら、会社を辞めるっていう選択も仕方ないとは思う」
もうすっかり空になったパンケーキの皿に逃げ道もなくなった私は、イ○ンモールのカフェでただただ「30歳にもなって、親との電話でワンワン泣いた」という恥ずかしさに打ちのめされていた。さらに母は、残り僅かなコーヒーを口に含みながら、追い打ちをかける。
「親にあれこれ頼らない子だからこそ、そういうサインは無視はできない。不安はあるけれども、あなたが元気でいてくれることが一番だと思っているから。でも優しく見守るだけじゃないよ。きちんと毎月家にお金は納めてもらうつもりだし、自力で生活できないって思った時は厳しく言うつもり。でもまずは元気でいてほしいから、どんな決断でも応援しようと思ってるよ」
信じてくれる人がいるから、ひとりで歩める
多様な生き方を受け入れる。言葉にすると、とても簡単なことのようにも思える。しかし母が感じているありのままの不安を聞いたことで、そう簡単ではないことだと分かった気がした。
また不安を抱きながらも、私が選ぶ道だからと我が子を信じて受け止めようとしてくれる母に、感謝の気持ちでいっぱいになった。
私のライターとしての活動に、これからうまくいく保障なんてものはない。でも私の意思を尊重してくれる両親の存在に気付けたことで、地道に目の前の仕事に取り組んでいこうと、少しだけ前を向けたような気がした。
大人になるとつい、「自分ひとりで歩まなければ」と思ってしまいがちだ。しかし自分のことを信じてくれている人の存在も、前に進める、ひとりで歩める力となっていることを忘れてはならないと思うのだ。
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