ギリギリ昭和生まれ。出身も在住も福岡だが、豚骨ラーメンは苦手。小学校教諭、食品会社事務を経て、WEBの世界へ。美容EC企業でのオウンドメディア運営担当、WEBマーケティング企業でのライター兼クリエイター、ソーシャルビジネス企業での広報を経験したのち、フリーランスライターとして活動を開始。現在は、マンガやアニメのコラム記事、企業の採用コンテンツや情報発信、メールマガジン、などの執筆に携わる。教育系NPOでPR業務も担う。モットーは「誠実に、ただ無理をしない」
経歴
- 昭和の終わり爆誕母の産道で息が止まり、トイレのスッポンのような医療器具の力を借りて産声をあげる。そのせいか頭がとがる
- ~大学卒業健やかに、でも少しずつひねくれながら成長する。
- 2011年4月“とりあえず”で小学校の先生になる教育実習で先生になる自信を喪失しながらも就職活動を怠ったため、とりあえず講師という形で教職に就く。特別支援学級担任という想像のななめ上をいく人事に驚く。
- 2012年7月先生を辞める特別支援学級担任という仕事にやりがいを感じていたものの、教育以外の世界を知りたいという大学時代の想いも捨てきれず、任期満了もあって退職。
- 2013年3月憧れの事務職デビューあまりにも世間知らずだったため想像以上に転職活動が難航する。妹に「MOSでも取れば」と言われ取った資格のおかげか、なんとか地元に本社を置く食品会社に拾ってもらう。
- 2015年7月再び、無職へあんなに苦労した転職活動。しかし元公務員だったため月給に物足りなさを感じ、こっそりライティングの副業と転職活動をスタート。そしてまだ先が決まっていないにもかかわらず退職する。
- 2015年11月憧れのライターデビュー2度目の転職活動も事務職で探していたものの、ハローワークの方に副業ライターのことを話すと「いや、なんでそれ言わんやったん」と食い気味に言われ、その気になりライター求人も探し始める。そして地元の美容系EC企業にWEBメディア担当として入社する。
- 2016年7月3度目の転職憧れのライターになれたものの、「プラシーボ効果だから」と社長が言ってしまう女性のコンプレックスを食い物にする商材の紹介記事ばかりを書く日々に罪悪感を募らせ退職。運よくWEBマーケティングの会社にクリエイターとして入社する。しかし前職同様、人のコンプレックスを食い物にするような商材の記事を書く仕事ばかりで、何も変わっていないことに気付く。
- 2018年4月ソーシャルビジネスの会社に入社諦められないライター業をほそぼそと続けながらバイトを掛け持ちし「福岡 ライター」で検索する日々を送る。そこで見つけたソーシャルビジネスの会社の広報職に応募し、採用される。
- 2018年9月消去法で、フリーランスの道へせっかく社会に良いことができると思い入社したソーシャルビジネスの会社。しかし当時19あったグループ会社すべての広報を担うことが私には荷が重く、体調を崩してしまう。思いがけずフリーランスという修羅の道へ。
- そして、今なんとかフリーランスとして生きる無謀にも思えたフリーランスライターとしての再出発。素人の応募にもかかわらず、一緒にと声をかけていただいたクライアントとのありがたすぎる出会いがあり、なんとか今に至るまで細々とではあるが活動を続けている。